1) 高等植物種での遺伝的多様性の保全と利用

生物体は、生命機能を司る遺伝子群の集合体と考えられ、多様な遺伝子の組み合わせを生み出す資源である。ある2倍体の生物種で、仮にひとつの遺伝子座に2種類の対立遺伝子があった場合、この遺伝子座について3種類の遺伝子型が考えられ、もしこの生物種に30,000の遺伝子座が存在し、それぞれについて常に2種類の対立遺伝子があるとすると、3つの遺伝子型がおのおのの遺伝子座で可能であるため、これら遺伝子群から想定できる30,000個の遺伝子の組み合わせは、3の30,000乗の遺伝子型の組み合わせになると考えられる。このように、遺伝子の組み合わせは無限といえ、この遺伝子群から形成さる個々の個体の創造は無限である。一方、このような天文学的数字から、特定の遺伝子の組み合わせを持ったものを選びだすことは、創造を絶する作業であり、個々の遺伝子を保存する技法はあっても、数万の遺伝子群からすべての遺伝子について特定の遺伝子群の組み合わせをもった個体を選抜することはゲノム解析が進んでいる現在でも不可能である。いわんやこのような組み合わせを持った個体をつくり出すことは現在の科学技術では不可能である。

 このような観点から、天然に存在し自然の運行とともに進化してきた生物種、あるいは永年の人類の営みによって選ばれたり、研究開発や品種改良の成果として得られた、特定の遺伝子群の組み合わせである各個体(遺伝子型)を貴重な資源とみなし、これらを遺伝資源と呼ぶ。この遺伝資源の多様性の評価や保全・利用する課題は、ゲノム研究の沿革として必要な基礎研究課題である。一方、これまでは地道な研究分野であったが、遺伝子情報の利用すなわちバイオインフォーマティクスの進展で、遺伝資源研究は、今後展開してゆくと考えられる。しかし、国際条約による規制と遺伝資源のナショナリズムによってこれら遺伝資源への海外からのアクセスや研究利用が厳しく世界的に制限されている。このような状況で、世界的に遺伝資源に関する基礎研究が必ずしも進展していず、人類の共通の課題として対処すべき非常に重要な懸案事項が、険しいハードルとして存在している。それでもやはり、ゲノム科学が進展しており、これらを基盤として生命の多様性を解明する研究の基盤として遺伝資源の多様性研究は今後も重要な位置付けである。
 
作物品種の遺伝的均一性(genetic uniformity)は、熟期や品質の平均化をもたらす。これとともに作物種単作(monoculture)は、商業栽培において栽培管理を容易にし、大規模化を可能にすることによる集約管理とコスト削減を計ることができるこのような利点を元に、品種改良が進められてきた。また、1960年代の緑の革命において、半矮性や肥料反応性形質を導入することにより高収量性をもたらす穀物品種群(high yielding varieties, HYV)は、飛躍的に発展途上国での食糧生産性を高め、食糧危機を救援した。
一方、特に穀物等の主要食用作物の高収量性品種群の品種改良の過程でごく限られた親系統が主体的に利用されたことや寡数の品種が普及の中心となったため世界中で現代品種の遺伝的均一化が進んだ。さらに、新しい高収量性の品種群を、多くの農家が採用したため、遺伝的に多様である様々な伝承品種・在来品種が使われなくなり、駆逐されてしまった。

 一方、上記による品種の遺伝的均一性は遺伝的脆弱性(genetic vulnerability)を持っている。作物及び品種の遺伝的均一化は、非常に危険である。遺伝的に多様な品種群を、使い分けたり、混植する事により、異なる栽培環境や様々な病虫害に対応できるが、遺伝的に均一化した品種群では、常に変化している環境や生物ストレスには対応できない。作物に感染し被害を及ぼす病虫害に関与する微生物や昆虫の種は、人間の作物保護活動に対して常に生存できるように適応進化しており、これら病害虫の被害は甚大である。これらの種もまた遺伝的多様性を持っており、人間の作物保護活動によって一時的に防除されても、適応及び変異を起こして生存し、新たに台頭してくることも往々にしてある。例えば、ジャガイモの疫病大発生により大飢饉が起こったのは、19世紀半ばだが、いまだに根本的に疫病を撲滅できず、さらには新たな疫病菌系によって世界的にジャガイモやトマトが甚大な被害を受けている。栽培資材や現代農法による機材が十分に手に入らない発展途上国の農家では、十分な品種の多様性がないと多大な被害がある。栽培、管理、化学農薬散布、天敵利用(生物農薬)、抵抗性品種の利用等の総合的取り組みによってこのような病虫害をかなり防除できる。一方、これらの要素に弱点があると作物の病虫害は容易に被害を及ぼす。この中でも品種群の遺伝的多様性は大きな要素であると考えられ、品種の遺伝的多様性により病害等の生産障害を抑制できることが解ってきている。

 上記は外国だけの問題ではない。日本は食糧の輸入依存率は非常に高い。自給率は食糧全平均で、2004年現在40%程度となっている。外国で生産される作物が、遺伝的多様性の脆弱さのために大きな被害を受けることがあると食糧輸入国の日本に影響してくるのは至明の理である。食糧は経済・政治・紛争の元であることは先に述べたが、遺伝的な多様性の減少も最終的には人類の究極の抗争・紛争に係わってくることを強調したい。日本で作られている作物の品種数は沢山あるのだろうか?小数の品種が生産消費の大半を占めているのが実状である。では世界に現存する品種の数はどれだけあるのか?日本は遺伝的に多様な品種のコレクションをもっているのか? 品種改良に遺伝的多様性は反映されているのか? おいしい米をつくるためにその血筋は非常に近い。これらは、潜在的に飢饉への可能性があり、過去このような天災/人災は起こっている。よって、遺伝資源の持つ多様性はこれら災害や飢饉の保険となりえる。植物が地上から失われることによって、多様な浸食が起こり、土地や水が失われて行く、そして砂漠化が進んで行く。

遺伝的多様性研究課題としては以下の範疇が進行中です。

A)遺伝的多様性測定のためのツールの開発
 遺伝的多様性の測定には、多様な形質の評価、アイソザイムやタンパク質の電気泳動、DNAマーカーやシークエンスなどが用いられる。しかし、これらは、時間、機材、資材、技術の習熟度、得たい遺伝的な情報量などの要因を考慮する一長一短である。また、多くの生物種では、遺伝学的情報や種特異的な多様性測定ツールがない場合が多くこれらの弱点を克服して失われつつある多様性を迅速に、評価する分子マーカーツールを、我々は開発している。その一例として、我々が開発したPBA (Cytochrome P450 based Marker)マーカーがあげられる。

PBAマーカーの使用例:ショウガ/ターメリックでのDNA多様性の簡易測定



B)日本在来植物遺伝資源の多様性の解析:絶滅危機の半栽培種スイタクワイにも遺伝的多様性が存在する。赤紫と青紫の球茎が存在する。



スイタクワイの多様性は、自作の簡易ユニバーサルDNAマーカーにより確認された。




C)ミャンマーでのショウガ属遺伝資源の農家保全を現地調査中の渡邉と協力者。
多様性の評価は現場で行うのが一番!2003年10月撮影


D)遺伝的多様性の保全調査:遺伝的多様性は容易に失われる



E) 遺伝資源開拓:多様な野生植物資源は未開拓。使われないままに失われている可能性もある。
耐虫性を持つジャガイモ野生種:葉の表面に毛(腺状毛)がはえており、これがsucrose-estherやキノンなど
酸化により粘性となる代謝物質を分泌する。これら物質は、のり状にはたらき、小昆虫(アブラムシやコナシラミ)
やダニ類を捕らえたり、虫に補食させることにより虫の体内で固まり消化不良を起こさせ殺傷する。人体には
無害である。



F) 遺伝資源の保存促進と支援:ジーンバンクは、遺伝資源保全の最後の砦。多様性は遺伝資源銀行で保全できるが、農家での利用しながらのダイナミックな保全が必要

多様なイモ類の組織培養保存(CIP, 提供)

民族紛争で滅びた農業遺伝資源(種子)の国際遺伝資源銀行からルワンダへの還元
(IPGRI、提供)

国際種子銀行での種子の保存(CIAT、提供)

圃場でのジャガイモコレクションの栽培(CIP、提供)

農家保存されているジャガイモ品種(CIP提供)

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